……中学はつまんなかったな。
クラス替えごとに現れては消える友達。
毎日毎日、昨日のテレビの話と、そこにいない誰かの悪口。
テストテストテストテストテスト。

母親も死んじゃったし。
……まあ、それはいいんだけど。
高校は、少しか面白いかな?


Sweet 16 T



 
父親が海外赴任になると聞いたのは、入学式から2週間ほど経った日の朝。2人分のトーストと、ハムエッグなんか用意していたときだった。
「ノヴォシビルスク……ってどこ?」
「ロシアだ」
 ロシア……寒いのは嫌だな、と思ってたら、父親はあっさり言った。
も高校生だし、1人暮らしでも大丈夫だな」
 あっそ。はなっから連れてく気なんて、ないわけね。
 トーストにブルーベリージャムを塗りたくった。いいもん。ロシアなんて行きたくないもんね。
「7月の中旬には、向こうへ行くことになる。その前に片付けなきゃならん仕事がたくさんあるから、しばらく帰りは遅いからな」
 トーストにかぶりつきながら頷いた。父親の帰りが遅いのなんて、慣れっこだった。
「それからな、行く前に父さん結婚するからな」
 同じくトーストにかぶりつきながら、ついでのように父親が言った。
「……そりゃまた、えらい急だわね」
「向こうに行けば、ホームパーティとかでホステス役が必要になるからな」
 まるで、それだけの理由で結婚すると言わんばかりだった。
 今までいろいろあったのは知ってるから、あたしも、今更母親が死んで3ヶ月しか経ってないことを持ち出したりはしなかった。
「相手は決まってるの?」
「当たり前だろ」
 当然、という顔で、父親は笑った。
 まだ40歳になったばかり。仕事はできるし、身だしなみもばっちり。カラオケはサザンや浜省が持ち歌で、そこそこもてているらしいのも知っている。
 しかし、こいつにも欠点がある。……父親の自覚に欠けていることだ。

 学校へは電車で2駅。
 一応、県内ではレベルの高い進学校ということになっている。
、おはよ! やっと携帯買ってもらったんだ。の番号教えて」
 教室に入ると、クラスメートの女の子が真新しい携帯を振り回しながら近寄ってきた。彼女の携帯には既に、CMで人気のキャラクターのストラップが揺れている。
「オッケー。そっちの番号教えて」
 あたしは携帯を取り出し、彼女の番号にかけてワン切りした。着信履歴を登録した彼女も、同じようにあたしの携帯にワン切りする。
は中学の頃から携帯持ってたんでしょ。いいなー。あたしなんか高校の入学祝いにってねだって、やっと買ってもらえたよ」
「うーん……。でもあたし、あんまり使ってないけどね」
 この携帯は、母親が胃がんで入院した時に買ってもらえたのだった。――いつ、病院から連絡がきてもいいように。
 でも、そこまで話すほど、まだ彼女とは親しくない。
 そのとき、日直だったことを思い出した。あわてて職員室まで日誌を取りに行く。
「今日、入試の成績貼り出されますよ」
 日誌を渡してくれながら、先生はうれしそーに言った。
 この学校は、全員の順位を貼り出すのだ。トップからビリまで。スペースの無駄だと思う。
「面白いですねー、おまえの成績。数学3位で、国語はビリから3位。バランス取れてますよね」
「……人の成績を、面白いって……(あんた先生だろーが)」
「まあ、人間なんかいっこでも得意なことがあるってのは、いーことですよ」
 ほめてんだか、けなしてんだかわかりゃしない。
 日誌を受け取ると、さっさと職員室を退散した。
 先生は、数学教師。だから、きっと機嫌がいいんだ。国語の先生だったら、目の敵にされてたに違いない。
 先生は、この学校で1番か2番目くらいに若い先生だった。ややたれ目ながらも整った顔立ち。ちょっと口角が上がってるせいで、自信たっぷりに見える口元。深みのある、落ち着いた声。
 周りの同級生たちとも、中学までに出会った先生たちとも全然違う。まだ出会って2週間だけど、それだけはなんとなくわかった。

 家に帰ると、すぐに制服を着替えた。
 テレビでも見ようかと居間へ行くと、サイドボードに飾られた母親の遺影に供えられた花が、ずいぶんしおれているのに気づいた。
 花瓶の水を捨て、新鮮な水を入れて遺影の横に戻す。
 母親は遺影の中で、彼女の愛犬の「ハル」を抱き、穏やかに微笑んでいた。
 「ハル」はポメラニアンで、あたしが物心ついた頃からこの家にいた。
 母が死んだ日、遺体とともに家に帰ってくると、ハルも冷たくなっていた。ハルは、母親が入院した頃からあまり食べなくなっていた。動物病院では、特に病気ではないと言われた。――ただ単に歳のせいだったのかもしれないし、母がいなくなって寂しかったのかもしれない。犬のことは、あたしにはわからない。
 胃がんの末期、意識の朦朧とした母は、しきりにハルの名を呼んだ。声が出なくなっても、唇は「ハル」と動き続けていた。
(……なんで犬の名前なの? どうしてあたしの名前は呼んでくれないの? あたしの名前も呼んでよ。そうしたら、おかあさんのために泣いてあげられるのに)
 結局、最期まで母の口からはあたしの名前は出なかった。
 お通夜でも、お葬式でも、あたしは泣かなかった。母の姉が、憎々しげに言った。
「なんて冷たい子だろ。犬のほうが、よっぽど情を知ってるよ」
 母がハルと同じくらいにあたしのことを考えてくれていたなら、きっと号泣できていただろう。冷たい子にも、それなりの理由は、ある。
 ハルを抱く遺影の中の母は、今はもう開かれることのなくなったアルバムの中の、生まれたばかりのあたしを抱く母よりも、穏やかで優しい笑みを浮かべていた。

 何も食べるものがなかったので、近所のコンビニに行くことにした。父親はどうせ仕事先で食べてくるんだし、夕食は適当でいい。
 お弁当のコーナーであれこれ迷っていると、携帯の着信が鳴った。昼間のクラスメートからのメールで、「今何してる?」といった、他愛のない内容だった。
 その場で返事を打っていると、聞き覚えのある声がした。
「ったく最近の女子高生は、買物途中でもメールですか?」
 振り返ると、ニヤニヤした先生が、そこにいた。
「……びっくりした」
「ほらほら、そこにいると選べないんですよ」
 先生はシッシッと犬を追い払うような手つきをして、お弁当を選び始めた。
 あたしはちょっと決まり悪くて、送信するとすぐ携帯をポケットにしまった。
「メールは楽しいだろうけど、くれぐれも出会い系とかにはハマらないよーに。って、先生からの忠告」
 先生は、牛丼とハンバーグ弁当のどちらにするかで迷っているらしい。あたしは、何を食べよう?
「そーゆーの、興味ないから」
 とりあえず、きのこスパゲティを手にとってみた。でも、これくらいなら自分で作ったほうが美味しいかな?
「最初はみんなそう言うんだよな」
 先生は、まだ迷っている。あたしは、スパゲティは棚に戻した。
「……うちの親、デキ婚でさ。あたしさえ生まれなきゃ結婚しないで済んだのに、ってしょっちゅう文句言ってたの。そーゆーの、すっごく嫌だから、あたしは適当に男とつきあったりしない」
 先生も、弁当を棚に戻した。
「おまえ、ヒマですか?」
「うん?」
「じゃあ、つきあってください」
「え?」
 とか言ってる間に、コンビニを出て駐車場に停めてあった先生の車に乗せられた。
「どこ行くの?」
「お互い1人でコンビニ弁当食うのも、侘しいでしょう。先生と生徒のよしみでつきあってください。奢りますから。何食べたいですか?」
「フランス料理フルコース」
「……俺が給料日前だって知ってる?」
 で、連れて行かれたのは牛丼屋。でも、そこで食べた牛丼は、今までにないくらい美味しかった。
 さっきの話が同情をひいてしまったんだとは思う。でも、先生はそのことにはまったく触れなかった。
は本当に国語の成績ひどいですね。敬語使えないのも、そのせいですか?」
「ひどいのは古文だけ。現国は、それほどひどくないよ。敬語じゃないのは……先生が、先生って気しないんだもん」
「俺のせいかい」
 先生は、そう言って笑った。でも、あたしは本当にそう思っていた。先生は、先生っていうタイプじゃない。
 牛丼を食べ終わって、マンションまで送ってくれるというので、車に乗り込もうとしたとき、シートに置かれているクッションが手作りなのに気がついた。
(この助手席に座る、決まった人はいるんだな)
 そう思うと、なんだかやたらと寂しくなって、あたしは横を向いて夜の街を見ていた。

 翌日の昼休み、あたしは数学の教科書を手に職員室へ行った。
「せんせー、質問でーす」
 先生に問題のとき方を教えてもらうと、あたしは小声で言った。
「……昨日はごちそうさまでした」
「おー。……って、何だ今頃?」
「早くお礼言おうかと思ったけど、あんましみんなの前で言うとまずいのかなー、と思って」
「かまわないですよ。別に悪いことしてるわけじゃなし。出会い系サイトにはまりかねない孤独な少女を監視し、普段の成績や態度について注意して、そのついでに牛丼食べただけですからね」
 物は言いようだ。
「ま、でも俺もちょっとやなことあって、1人で飯食うと凹みそうだったから。がつきあってくれて、助かったよ」
 いつものデスマス体じゃなくて、ストレートにそんなこと言ってにっこり笑うもんだから、あたしの心臓は勝手にドキドキしはじめている。
 顔が赤くならないうちに、さっさと職員室から逃げ出した。

 放課後、学校の駐車場に先生の車を見つけた。
 近づいて中を覗くと、昨日まであったクッションがなくなっていた。
「ちょっとやなこと」って、本当にちょっとのことなの?


 6月になったある日の朝、父親が言った。
「来週の日曜日、の誕生日だろ。外で食事するか」
「どうしたの、珍しい」
「もうじきロシアに行くだろう。そうなったら簡単に会えないからな。せめて今のうちぐらい、きちんとお祝いしてやるよ」
 海外赴任が決まって以来、父親はほとんど会社に泊まりこむような毎日だった。帰ってきたとしても真夜中。あたしと顔をあわせるのは、朝だけだった。
 今までの15回の誕生日には、特にお祝いしてもらったことはなかった。父親は仕事で忙しかったし、母親はあたしの誕生日なんてあまり覚えていたくないらしかった。
(初めての、誕生日祝い……)
 そう思うと、知らず知らずに口元がゆるんできて、それを父親に見られるのは恥ずかしいので、あわててトーストを詰め込んだ。

 学校で、先週やった学力テストが返ってきた。数学が、いつもより少し悪かった。
―、おまえもっと頑張んなさい。国語はあんなんなのに、数学まで下がったらとりえ無しになりますよ」
「……これは、誰かさんの教え方に問題があるんじゃないかと」
 あんまり先生が憎ったらしい言い方をするもんだから、あたしの言い方も刺々しくなる。
 先生は、すごいしかめっ面をして見せたが、すぐに笑い出した。
「しゃーねーな。のとりえを守るために、先生頑張るわ」
 ……なんか、嫌みを言ってしまった自分が情けなくなった。あたしって、子供すぎる。とにかく、これからは数学だけは成績落とすまい。
「いいなー、って。先生と仲良くて」
 クラスの女の子たちからは、羨ましがられた。仲良いって言うのか、これ?
「知ってたー? 先生、カノジョと別れたんだって」
「え? カノジョいたの?」
「いたんだよー。大学の時の後輩っていうから、もう最低3年以上のつきあい?」
「へー、あんたよく知ってるね」
「先輩たちの間では有名だったんだよ。、もてるから。別れたって聞いて、ちょー張り切ってる女も何人かいるって言うし」
「でも、あたしも先生ならいいなー」
「あたしも! ちょっと頑張ってみる?」
「って何をさ?」
「……数学?」
 あたしはぼんやりとみんなの話を聞いていた。先生の人気があるのに、今更驚いたというか、それが当然というか……。
 牛丼屋の次の日のことを思い出した。――先生にとって、それは「ちょっと」のことだったの? 
 でも、本当に「ちょっと」のことだったら、1人でご飯食べるくらいで凹んだりしないよね。

 日曜日。午前中仕事を片付けにいっていた父親が、洋服の入った袋をもって帰ってきた。
、食事に行く時はそれ着るんだぞ」
 それは、淡いピンクのワンピースだった。丸い襟で、パフスリーブ、ローウェストでボックススカート。
 ……はっきりいって、あたしの洋服の趣味とはかけ離れている。
「もしかして、これ誕生日のプレゼント?」
「いや。今日行く店は、カジュアルじゃ入れないんだよ。おまえ、喪服以外フォーマル持ってないだろ」
 喪服で誕生日祝いするのはいやだ。あたしは、フランス料理を食べたいと父親にも言ったことを、少し後悔した。
 それにしても、父親がこの服を見立てて買ってくれたんだろうか? ――そんな疑問が氷解したのは、そのフランス料理店に着いてからだった。
 あたしたちが着いてすぐ、ウェイターがメニューを持ってくると、父親は「連れが来てから注文する」と言った。
 その連れはすぐにやってきた。アッシュブラウンにカラーリングしたショートヘア。ダイヤ(本物?)のピアス。アイボリーのパンツスーツ。キャメルのミュール。そして、左手の薬指にはダイヤの指輪。
 ――そういうことなの。あたしの誕生日のお祝いだって言ったのに。
「ごめんなさい。遅くなって」
「大丈夫。こっちも今来たところだ」
 彼女は――街子さんというのだが、あたしの母親とは正反対のタイプだった。母親は、厚ぼったい黒い髪を長く伸ばし、いつもフレア系のロングスカートをはいていた。アクセサリーも、ほとんどつけなかった。もちろん、結婚指輪も。
 街子さんは、父親の会社の部下で、まだ27歳だった。
「良かったわ。そのワンピース、似合うじゃない」
 そう言って街子さんは、あたしを見てにっこり笑った。あたしは、仕方なく苦笑いした。
 それに続く食事の時間は、拷問だった。
 どうして1品1品のんびり運ばれてくるような、フランス料理なんてリクエストしちゃったんだろう。こんな時こそ、さっさと食べられる牛丼が相応しいのに。
 街子さんは、あたしと打ち解けようとしてくれてるみたいだった。学校のこととか、好きな音楽とか映画とか、なんとか興味をひきそうな話題を探していた。父親は、目を細めてそれを見ている。そんな父親に、あたしはますますイライラがつのる。
 ――なんで、そんなニヤついてられるのよ。ねえ、なんで?
「……街子さんて、犬好きですか?」
 あまり会話にのってこないあたしからの質問に、街子さんはうれしそうに目を輝かせた。
「すごく好きよ。今もね、家でチワワとシーズ―飼ってるのよ。すっごくかわいいの。名前はね……」
「へー、あたし、犬って大っ嫌い」
 あたしは街子さんの話をさえぎって、言った。声に悪意がこもってるのが、自分でも良くわかった。
 街子さんは言葉を止め、真っ赤な顔をしてうつむいた。
 父親は立ち上がると、何も言わないであたしの右頬を打った。
 母親も、こんなふうに父親に平手打ちされてたっけ。――自分の右頬の鳴った音を聞きながら、あたしは思い出していた。
 あたしは立ち上がると、ナプキンをテーブルにたたきつけ、店を出た。店内の客も、ウェイターも、あたしたちに注目していた。父親も街子さんも、注目を浴びながらフルコース食べればいい。ざまあみろだ。

 店の外は、すっかり夜だった。街灯のオレンジ色の光を浴びながら、とぼとぼと歩いた。家までは結構な距離なのに、お金も持っていなかった。履きなれないパンプスで、足が痛い。
 後ろから、しきりにクラクションを鳴らされた。こんなワンピース着て、夜にふらふら歩いてるからだろうか。クラクションは、しつこかった。文句を言おうと振り向くと、それは見覚えのある車だった。
「どうしたんです? そんな似合わない服着て」
先生……都合よすぎ」
 あたしはさっさと車に乗り込むと、目を閉じた。
 そういえば、誰も「誕生日おめでとう」の一言を言ってくれてなかった。
 閉じた瞼から、涙が零れた。
「おい……」
「先生は、真直ぐ前見て運転して。――こっち見ないで」
 あたしは一方的に言って、先生の心配そうな声を無視した。



――16歳の誕生日。父親からのプレゼントは、新しい母親と、ひりひりするほっぺた。



……暗い話ですねえ。(ΦωΦ)ふふふ・・・・
いや、書いてる私としては、暗くて救いのない話のほうが
書きやすいのですが。
一応、犬ドリーム「Heart」のヒロインちゃんが現代にいた頃のお話、
という設定になってます。
犬一行は、まったく出てきませんが。

たぶんそのうち、先生との話をもっと詳しく書きます。